肌の精霊と対話する。

シーズン1 月落ちの刻 ~ビワの精霊の物語~

エピソード5〈阻まれる旅路〉

挿絵1
伊丹空港内
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伊丹空港の搭乗ロビー。
午前の光が、天井のガラス越しに差し込んでいた。
外は晴天、雲ひとつない。風もない。滑走路には、規則正しく並ぶ機体の列。

──なのに、空港全体に漂うこの静けさは何だ。

高埜木魂は、足を止めた。
温度でも湿度でもない。肌の奥で軋むような、微細な「整い」がある。
まるで、空間そのものが“何かを待って”整列しているかのようだった。

スマートフォンを確認する。
那覇行きの便──だけでなく、伊丹発のすべての便が「技術的トラブルにより欠航」と表示されていた。

「……なんやてぇ……」

声は出ない。
だが、確かに、胸の奥が軽く鳴った。
事故ではない。自然現象でもない。
何かが、意図的に──「止められている」。

挿絵2
高埜木魂 空港内歩く
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ちょうどその時、アナウンスが頭上から流れた。

「本日、伊丹空港発の国内線は、技術的な問題により全便欠航となりました──」

ロビーにざわめきが広がる。

「全部って……」

「どうするんだよ、これ」

「間に合わない……」

代替手段を探して走り出す者。チケットカウンターに詰め寄る者。
焦りの声と動きが交錯する。

しかし、その喧騒の裏側に、もうひとつの「静けさ」があった。
それは、騒音で覆い隠せる類のものではない。
空間の底に、目に見えない“操作”のような気配が流れている。

高埜木魂は、ふと視線を巡らせた。

挿絵3
スパイチーム
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改札脇、売店の影、自販機の前。
無造作に立つスーツ姿の男たち。
動きに不自然はない。手元にはスマートフォン。

だが──耳に揃いの黒いイヤーピースをつけている。

それは、彼にとって、十分すぎる“サイン”だった。

この空港で起きていることは、偶然ではない。

化粧品業界は、美しさを巡る戦場だ。
特に、発酵系の新原料は莫大な利益を生む。
発酵条件、抽出工程、原料の保存方法。どれかひとつでも先に押さえれば、特許で市場を独占できる。

業界ではそれを巡って、常に情報戦が起きている。
裏取引、横流し、研究者の引き抜き──
時には、開発者そのものが「消える」ことすらあった。

挿絵4
業界の闇イメージ
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高埜木魂は、そうした世界の只中に身を置いている。
自分が監視される側であることにも、とうに慣れていた。

胸元に吊るされた止水の瓶が、わずかに揺れた。

彼は、搭乗ゲートから少し離れた場所に歩み寄り、ひとつの柱の影に身を寄せた。
構内を見渡しながら、黒スーツの配置を一人ずつ確認していく。
誰も彼を見てはいない。だが、“見られていないこと”そのものが、ひどく不自然だった。

チェックインカウンターは通常通り稼働している。
係員も笑顔を崩さない。掲示板は動いているし、案内も聞き取れる。
──ただ、飛行機だけが、飛ばない。

「行かせたくないのか。
あるいは、向かう先に何かがあるのか──」

独り言というよりは、脳裏をかすめた輪郭のない問い。
言葉にするほどの確証もない。だが、この“整えられた停止”は、旅そのものへの“逆風”として明確だった。

挿絵5
高埜木魂 スマホでルート調査
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高埜木魂は、ロビー奥のベンチに静かに腰を下ろした。
ゆっくりと背筋を伸ばし、呼吸を整える。

満月までは、あと二日。
沖縄へ行けなければ、ビワとの約束は果たせない。
自然が相手である以上、時間をずらすことは許されない。

スマートフォンの画面に、地図と時刻表が浮かぶ。
新幹線、フェリー、長距離自走──それぞれのルートをひとつひとつ検討する。

挿絵6
新幹線やフェリーのイメージ
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高速道路を南下し、鹿児島からフェリーに乗る。
遠回りにはなるが、追われても追わせてもいい道だ。
空路に乗れない今、選べるのは「足のつく旅路」だけ。

ふと、視線の端に、あの男たちの気配が映った。
誰も動かない。目線もこちらに向けない。
だが、沈黙の中に漂う張りつめたものは──確かにそこにあった。

高埜木魂は、立ち上がり歩き出す。
彼の歩調に乱れはない。
胸の止水がふたたび揺れた。

戦いが静かに始まろうとしていた。

挿絵7
高埜木魂 サングラスと赤い目
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